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こんにちは、ドンキーです!
昨日ハイデルベルクで花火がありました!
※自分で撮った花火の写真の画質が悪く、遠すぎてしょぼいので、友達にお借りした写真を何枚か使用させていただいております。笑

↑これが自分が撮ったハイデルベルクの花火。
一番上の綺麗な写真が、友達が撮ったハイデルベルクの花火です。笑
レベルが段違いですね。笑
精進します。🔥
Heidelberg in Flammen : Heidelberger Schlossbeleuchtung(ハイデルベルク炎上:ハイデルベルク城の明かり)
ハイデルベルクの花火はHeidelberg in Flammen : Heidelberger Schlossbeleuchtung(ハイデルベルク炎上:ハイデルベルク城の明かり)と呼ばれており、年に6月・7月・9月の3回、毎年花火が上がります。
ドイツの他の都市で、年に3回も花火が上がることはほとんどないそうです!(HP情報)
なぜ3回なのか?
なぜ6月・7月・9月の3回ハイデルベルク城を赤くライトアップし、花火が上がるのか?
それは、1689年と1693年、そして1764年の合計3回ハイデルベルク城が燃えてしまったので、そのことを忘れないためなのです。
最初の2回はプファルツ継承戦争時の1689年と1693年。「朕は国家なり」で有名な「太陽王」ことルードヴィッヒ14世(ルイ14世)の軍隊がハイデルベルクの城と町を焼き払いました。
その後、1764年に雷がハイデルベルク城に落ち3度目の炎に包まれます。
今日ではその3度の炎上後のままの姿を残したまま、「ハイデルベルク城」として世界的に有名な遺跡になりました。
このことからハイデルベルク城を年に3回赤く照らすのです。

それでは花火を上げる理由はなにか?
1613年、若く美しいイングランドの王女エリザベス・スチュワートを妻として迎えるために、フリードリッヒ5世(プファルツ選帝侯)が花火の演出をさせ、これがハイデルベルクで初めて花火が上がった瞬間でした。
その後、プファルツ戦争後にで赤く城が燃え上がり、だんだんと色あせていった後、ハイデルベルクで2度目の花火が打ちあがりました。
ハイデルベルクにおいて、これらの花火は「フリードリッヒ5世(プファルツ選帝侯)の婚約祝い」と上記の戦争の他、
ナポレオンの進軍や30年戦争など今日でアルトシュタットと呼ばれるハイデルベルクの町が破壊され、炎に包まれた当時の状況を形容するために挙げられていると言われています。
ちなみに、1613年に初めて花火が上げられてから400年が経った2013年には、ハイデルベルクで「400周年セレモニー」が取り行われました。
ハイデルベルクの花火の流れ

「Heidelberg in Flammen : Heidelberger Schlossbeleuchtung(ハイデルベルク炎上:ハイデルベルク城の明かり)」の流れとしては、
- ラッパ隊による開会式の演奏
- 赤く燃えるハイデルベルク城の演出と花火の打ち上げ
- カール・テオドール橋 (アルテブリュッケ)からの花火の打ち上げ
というかんじです。
*22時15分から打ち上げで、通常ならその3,4時間前から場所取りで現地のドイツ人やドイツ旅行観光客がぞくぞくと集まってくるのですが、この日は雨で天気が悪く比較的寒かったので、だいたい打ち上げ開始の1時間前くらいから徐々に人が集まりだしていました。
*この時期のドイツは21時~22時ごろが日没の時間帯であるため、22時15分という日本に比べたら遅めの時間帯に始まります。
上記にあるように、ハイデルベルク城が赤く染まる演出は、燃えるハイデルベルク城を表現していまして、この赤色はベンガル式の船舶・航空機などのための標識灯を使用しているそうです。

本当に燃えているかのように赤く、赤で、赤いです。笑
写真では伝わりづらいんですけど、暗いハイデルベルクの山際で燃えているさまは、本当に神秘的でした。
HPには「―まるで遺跡が遺跡自身の長い歴史の中でもう一度燃えているかのように-」という一文が記されていました。
赤く燃えるハイデルベルク城の演出は最初だけで、その後はもっぱらカール・テオドール橋 (アルテブリュッケ)からの花火の打ち上げでした。
あと、花火の煙がえぐいんです。笑

こんなかんじで、大火災みたいになっているんです!
あ!もしかしたら、これも含めて町が燃やされたり破壊されたりしていた当時の雰囲気を出しているかもしれないですね。笑
ハイデルベルクの花火閉会後

花火が打ちあがり終わる合図は、「街灯が点灯すること」です。
終わった後は、現地のドイツ人もドイツ旅行客も使用するため電車やバスがものすごく混むので、我先に帰路についていくか、人の流れが落ち着くまでその場でゆっくりしてるかって感じです。
ドンキーの家はアルトシュタット内なのでカール・テオドール橋 (アルテブリュッケ)を渡って帰ろうと思ったのですが、30分~1時間ほど撤去作業に時間がかかるので、橋は封鎖されていました。
時間に余裕をもって動くといいと思います。
日本の花火と違って、ドイツではもちろん浴衣もないし、花火が上がるたびに「フォー」とか「Yeahhhhhh」とかみんなで拍手したりと、いつもと違った感じの花火が楽しめました。
日本の花火が納涼祭でのものだとしたら、ドイツでの花火はクラブとかフェスみたいな感じでした。笑
その他

ドイツでは、お祭り以外でも、祝日やイベント時に路上に露店がよく開かれています。
もちろん今回のHeidelberg in Flammen : Heidelberger Schlossbeleuchtung(ハイデルベルク炎上:ハイデルベルク城の明かり)でも、簡易バーや、飲食露店などが開かれています。

露店などでお酒を買うと若干高めなので、スーパーなどで飲食物を買っていく人もいます。
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今日もありがとうございます!
また、明日の記事でお会いしましょう!
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