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こんにちは、ドンキーです!
今日はピザの中でも高い人気を誇る「ビスマルク」についてのトリビアです!
ビスマルクといえば、まず最初に思いつくのがドイツの鉄血宰相ビスマルク(本名:オットー・フォン・ビスマルク)ですよね。
今日はそんなビスマルクピザがドイツとどういう関係があるのか、【今日のドイツ飯 vol.10】として、お話させていただきます。
- ビスマルクって誰?
- ビスマルク(ピザ)とは?
- ビスマルク(ピザ)の発祥
- <おまけ>ビスマルクの伝説
- まとめ
ビスマルクって誰?

ビスマルク(本名:オットー・フォン・ビスマルク)はドイツ第二帝国の政治家で、普仏戦争勝利後、ドイツ帝国初代宰相になった人物です。
髭面に鋭い目が特徴ですよね!
ビスマルクがプロイセン首相だった頃に起こった軍制改革に関する会議で、
「ドイツ問題は鉄と血によって解決される」
という演説をし、強硬策を取り、軍備増強を実際に行ったことが「鉄血宰相」の由来となっています。
ちなみに、鉄血演説はこの演説のことを指し、鉄血政策はこの時行われた強硬策を指します。
ビスマルク(ピザ)の由来

ビスマルクは、ピザ生地にベーコン/ハムやモッツアレラチーズをベースとしたピザの中央半熟卵が置かれているピザです。
ある他の材料をのせてある程度焼いた後、途中で卵を中央に置きオーブンで焼くことで半熟卵のようになる仕組みです。
上記で述べたドイツのオットー・フォン・ビスマルクが目玉焼きをのせたステーキが好物だったことがビスマルク(ピザ)の由来となっているため、目玉焼きがのっているピザがビスマルクと名付けられました。
その他にも、目玉焼きや半熟卵を用いた料理は「ビスマルク風」と呼ばれています。
ビスマルク(ピザ)の発祥

前述したように、ビスマルクは正真正銘ドイツのオットー・フォン・ビスマルクが由来です。
そして、ピザはもちろんイタリア発祥です。
その「ドイツ」と「イタリア」、「ビスマルク」と「ピザ」を結びつけるものは、1882年のドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟です。
三国同盟時にビスマルク体制と呼ばれる政治体制がとられており、イタリアでも有名人だったことから、ビスマルクピザはビスマルクという名前や好物などから発想を得てイタリアで生まれたと言われています。
<おまけ>ビスマルクの伝説

ドイツに残るビスマルクの伝説を3つほど紹介させていただきます。
◆牡蠣175個!卵15個!
ビスマルクには、一度の食事で175個もの牡蠣を食べたという伝説と、別の食事では大好物の卵を15個食べたという2つの大食い伝説があります。
どちらにしても次の日にはお腹ピーピーですよね。笑
◆医学博士!法学博士!超天才ビスマルク!
ビスマルクは、勉強が大得意で、政治家としての彼のメインである政治学のみならず、医学、法学、そして哲学、神学などの博士号も持っていました。
鉄血宰相というネーミングから、パワフルで暴力的なイメージのあるビスマルクですが、実は武力での解決を嫌い、勉学などを愛する人でした。
◆「愛国心と舌は別物」
フランスはプロイセン・ビスマルクにとって最大の敵でした。
しかし美食家であるビスマルクはフランス産のワインを好んで飲んでいたため、ヴィルヘルム1世に指摘された時、「愛国心と舌は別物」と答えたそうです。
鋼の意志で何事もまっすぐに貫き通していたビスマルクが、そういう答えを返すのは不思議ですよね。笑
まとめ

ほとんどがオットー・フォン・ビスマルクに関するお話だったのですが、どうだったでしょうか?
一つ言えることは、ビスマルク(ピザ)はドイツのピザではなく、当時のドイツからの流れをくみ取ったイタリア人が作ったピザということですね。
なので、ビスマルクの本場はドイツではないです。笑
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今日もありがとうございました!
また明日の記事でお会いしましょう!
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